笑い話(221〜240)


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●221 運動会で昼食の時、弁当のふたを開けたら海苔で「フンバレ」と書かれていた。
どうやら母は「ガンバレ」と言いたかったらしい。
ふたの裏を見ると一部分がへばりついていた。
●222 母が鍋をしきりにかき混ぜて料理していたので、何を作っているのか
覗きに行ったら、豆腐のみそ汁の豆腐を切らずに1丁そのまま入れて
しまったためにおたまで必死にカットしているところだった。
●223 小学校1年の頃「ボンデーさん」という宇宙人と文通していた。
学校でそのことを自慢したが誰も信じてくれなかった。
数週間後、ボンデーさんからの手紙はすべて4つ上の姉が
書いていたものだとわかったとき、しばらく自分を見失った。
●224 私は幼稚園の頃、母親に
「30歳になるとだんだん若くなる」
と言われ、それが本当かウソかということで近所の女の子とけんかした。
●225 保育園の友達が
「○○くんはおめめ大きいね」
と言われているのを聞いて自分は?と聞き、
「△△ちゃんは鼻の穴が大きいね。」
と言われたのに対して
「やったぁ!」
とガッツポーズをしていたそうだ。
●226 仕事から帰って私が着替えをしていると、3歳になる姪っ子が着替える様子をみていた。
そこでストッキングを脱いでそれを姪っ子の目の前に出し
「あ、おばちゃん皮むけた」
というと、しばらく呆然として、
「おばあちゃーん!」
と悲鳴を上げながら廊下をかけていった。
●227 母からクーラーは『弱』が一番涼しいと教えられてきた。
今ではエコロジー先駆者として尊敬している。
●228 私の友達は物心ついたときからずっと、父親に
「動物園だ」
といって毎週競馬に連れていかれていた。
小学校の遠足ではじめて本物に行き、
「馬だけじゃないんだ」
と目を輝かせていた。
●229 僕が小さい頃、エスカレーターを降りる時
「うまく降りないとこのまま吸い込まれるのよ」
と言われ、
「すいこまれたらまた向こう(乗るところ)から出てくるのだろうか?」
と思っていました。
いまでも降りる時は緊張します。
●230 母は、私がストーブに近づきすぎてやけどをしないように
「ストーブに触ると、手がハンバーグになっちゃうよ!」
といっていた。
私はハンバーグを食べるたびに
「これは誰の手なんだろう?」
と思っていた。
●231 小さい頃父が母のお腹に向かって
「男の子が欲しいな」
と言っていました。
それを私に見つかり父がとっさに
「お母さんにお願い事をすると願いが叶うんだよ」
と言ったので、次の日私も母の下半身に向かって
「自転車が欲しいな」
と頼みました。
●232 私が幼稚園に通っていた頃、母に
「夜遅くまで子供が起きていると宇宙人がさらいにやってくるよ。」
と言われてました。幼い私は布団の中で、
「UFOに乗れるかも」
と思い、ドキドキしながら宇宙人が来るのを待っていました。
●233 うちの母は当時4歳の弟に
「ママは18歳」
といっていたら(本当は37)弟は幼稚園のみんなにそれを言ってまわってしまい、
お迎えに行ったとき、新米先生が
「あの〜お母様、18歳なんですか?」
とマジな顔で聞いてきたそうです。
●234 我が家のテレビはシャープ製なのに他社のテレビのCMも映る。
これは親切なテレビだぞ、と言われた。
●235 子どもの頃、熱いお好み焼きを食べる前に、湯気でおどっているかつお節を
「わあ、生きてるわ!食べられたないゆうて怒ってるわ!」
と母にいわれ、こわくてよく泣きました。
●236 うちの母は一週間ほど前に買った牛乳と昨日の牛乳とを混ぜて四日前の牛乳にしてしまう。
●237 4歳の頃、電卓をいじってたとき「×(かける)」の意味が何かわからず
母に聞いたところ、大人の足し算と教えられた。
●238 叔父は大まじめにこう言いました
「血圧はかると死ぬぞ」
その言葉をずっと信じていたので、中学校に入学したての頃にあった健康診断で
血圧を測るのにただならぬ恐怖を感じました。
先日も測りましたが、やはりあのときの叔父の言葉がはなれず、怖ろしかったです。
●239 幼いころ食べた後すぐに寝転がると牛になると言われていました。
しかし私の母の実家には、農耕用の牛が一匹いました。
母の里帰りについていくたびにこの牛は誰だろうと思い
「おまえは誰だ」
と必死で牛に話しかけていました。
●240 幼き日少食だった私は食事のたびに
「『見たぞ』が来るよ!」
とおどかされていました。
『見たぞ』とは、母が創作した妖怪(?)らしいんですが、
要するにご飯を食べない子供を
「見てる」
らしいんです・・・
よく考えたら別に怖くも何ともないですよね。
見てるだけだし。
でも、子ども心には怖かったです。


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